石黒浩先生の本。何冊目だろうか。
目につく者を手にとって読んでいます。
アンドロイド研究をされている先生です。
さすが研究者。常識の一歩先をゆく研究です。面白い。
引用
"心とは、観察する側の問題である"
深い。どうなんだろう。仏教のお坊さんに聞きたい。
日が立つにつれ、仏教を宗教と感じなくなってきています。
日常の過ごし方。(物理的な)真実について語る学問のように感じてきています。
わたしは大学で応用物理を勉強していたのですが、
古典物理の範疇では、仏教は意味わかんない戯言を語っているように感じますが、
量子物理になった途端に心理をわかりやすく語っているように感じるようになりました。
これはわたしだけではなく、物理をかじった人はみな感じる事だと思う。
引用
"教壇を倒れるほど激しく蹴り飛ばす--あのとき身体を動かして生じた高揚感、身体がカッカと熱くなる感じを認識する事で、僕は初めて「なるほど。これが怒りか」と、わかったのだ?"
私は普通に怒るが、なぜか怒る事が恥ずかしい。
もし自分の怒りを文章にするなら、オナニーの描写をするより恥ずかしいかもしれない。それ位恥ずかしい。
その恥ずかしいけど、一般的な怒りの感覚を詳細にさらっと書けるのはさすが科学者と思わされる。俯瞰して言語化する。これだけの事がいかに難しいか、今はわかる。
怒りが恥ずかしいと感じる感覚はなんなんだろう。
反応なのか。文化なのか。文化っぽいけど、何に影響を受けてこんなに恥ずかしいと感じるようになったのだろう。
わたしは石黒教授のように怒りでは何も解決しないから怒る意味が無いと達観しているわけではなく、恥ずかしいから怒りを表に出さないようにしているだけ。
演技として怒る事はまれにあるけど、あれは確かに恥ずかしさが薄い。
怒りについての本を探すか。
"服装を変えないとまともな意見を言えないやつは、どう考えても芯がない。"
おっしゃる通り。しみる言葉。
わたしは服装を買えないとまともな意見を言えない部類です。
それは自身のテンションだったり、受け手への説得力だったり。
力のないわたしには、服装であったり経歴の後ろ盾がないと、説得力が生まれない。
自身に価値が無いという事だと思う。
考えさせられる本でした。
多くの部分は数十年先の常識となると思います。
ぜひ読んで見る事をおすすめします。今の常識ではないのですぐには役立ちません。
